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貴方、の言う事、考えは、とても素敵!良いお話を、ありがとう!
こちらこそ動画を見てくださりありがとうございます!
私は竹田の隣の区の出身です。竹田の子守歌が出身の隣の歌だとは最近知りました。何だか親近感が有って大好きです。私の育った区も差別地区が有りましたが子供だった私は何も知らなくて差別地区の友達と遊んでました。その差別地区も今はなくなって新興住宅街になりました。有り難うございます。
赤い鳥の歌を聞いた世代です、 私も口ずさんでましたー、なのに、放送禁止になったのでテレビでは聞けなくなりました、裏と表があるように、時代の背景を受け継がせるためにも、放送禁止は深く考えてから決めて欲しい、部落解放同盟が盛んなのはわかりますが、この歌の時代による変換の説明をしてる方が、よほど人権教育になると思うし、竹田の子守唄は、聞いてると心から沁みます 武田地区の人の話だけではないくらいに、関西で広まってた原曲は世界遺産です!隠しても教育にならないと改めて感じました、感謝してます
奉公とか聞くとドラマの「おしん」を思いだします。こんな時代が本当にあったんだ。苦労しただろうな😢
今の時代からは全く想像できないですよね💦このように歌としてそれが語り継がれてくのは大切なことだと思いました😌
こんな美しく悲しい歌が放送禁止になり(そもそも放送禁止になったなんて知らなかった)部落の悲しさが込められた背景を教えていただいてありが
大聖さん、こんばんは😊赤い鳥といえば「翼を下さい」があまりにも有名ですが、レコードでは「竹田の子守唄」がA面なのですね!改めて曲を聴いてみて、美しく切ない旋律と、山本潤子さんの透き通る歌声に感動しました。唄が広まるにつれ、自主規制に追い込まれる過程は怖いものがありますね。今の時代も、どんどん自主規制が進んでいますから、表現の場が奪われないように願いたいものです。ところでこの動画、教育現場で使われても良いくらいのクオリティーだと思います。もちろん大聖さんの承諾の上ですが、子ども達に見てもらい、考えるきっかけにしてほしいと思いました。ではまた、配信でお会いしましょう😊
ありがとうございます😊翼を下さいは有名ですね☺️ 僕も学校で歌ってました🏫自主規制によって逆に誰かを傷つけてしまうこともありますもんね😢嬉しい😆お言葉です!とても恐縮ですが💦使っていただけるなら是非という感じです🙇♂️💦でも、差別などの社会問題を歌を通じて考えるきっかけになると嬉しいですよね!反戦歌の時も同じようなことを言いましたが、知らない人が知るきっかけを作る入り口として、歌というのは絶大な力を発揮しますもんね!本当に嬉しいです!ありがとうございます😊また配信でお会いしましょう!
私は九州に住んでいますが、在所という言葉は、今はあまり使われていないようですが親や私の若い頃までは生まれ在所とか普通に使われていました。
なるほど…勉強になりました。心にしみ入る名曲ですねえ…。歌とは人々の暮らしと共にあるのですね。ありがとうございました🤔💐
こちらこそ、動画をご視聴いただきありがとうございます!そうですね〜、人々の暮らしと共にあるんですね!そして、それが時代になっていくんですね🥹
初めまして。偶然に音楽イベントでこの歌を歌わないか?と提案されて調べていたところにチャンネルを見つけました。とても深い考察と貴重なご意見が心に染み入りました。歌う際に、少し解説を拝借した上で、言霊も表現できそうな気が致します。ありがとうございます。
初めましてこちらこそ動画を見つけてくださり本当にありがとうございます。音楽イベントで歌われるのですね!背景を考えると表現も色々と変わってきそうですね👍同じ歌い手として、とても嬉しいコメントです!音楽イベント頑張ってくださいね!応援しております☺️
守りも年頃~🎵花も七分(しちぶ)~🎵坊のててごの~🎵お手が付いた~🎵はよも~いにたや~🎵あの在所を越えて~🎵向こうに見えるは親の家(うち)~🎵
同じ日本人なのに、なぜ差別をするんですかね、アイヌの人もかわいそうです。 もっと早い時期に差別を禁止する意見は無かったんでしょうかね、もう令和ですよ いつまで引きずるんでしょ。
悲しい情景ですね。でも、日本にはどこにでもあった悲しい情景だと思います。この歌は竹田地区だけのことではなく、もっと一般的な情景だと思います。
美しい曲だが、変な所がある。盆に「雪がちらつく」はないだろう。余りにも極端な異常気象である。それよりも「帷子もなし、帯もなし」の方が自然だ。奉公先では、盆が終わった16日に「やぶいり」として、奉公人を親元へ返すのが普通だ。その時には何らかの土産、例えば、帷子なり帯なりを持たせる。ところが差別されて、何も持たせてくれない。それで、親の家が見えても、それを越えて何処かへ行ってしまおうか、それとも、、、と考えていると解釈できる。
これの七番は本当にずっしり来る。当時ただただ鴨川下流の京都盆地の砂地が広がるだけの竹田で傘もなかったら子守ってキツいなんてもんじゃない。ヘタすると体温が冷えて背負ってる子供がヤバくなる・・・。
コメントありがとうございます。色々と僕も想像すると辛くなってしまいます。
「在所」という言葉は、単にそこに存在している第三者的な地域(場所)という意味なのだろうと思います。奉公先と故郷の竹田地区との間に、たまたま「在所」という地区があったと考えるほうが しっくりくるのですが。ちなみに、私の故郷 である秋田県南部では「在郷」という言葉(じゃんごと言っていた)を、 単なる地域という意味の他、「田舎(くさい所)」という意味でも使っていました。
美しい曲だ。放送禁止になっていたとは知らなかった。放送局も訳が解らない事をしたものだ。「橋のない川」は映画を見た事がある。上映中止にならなかったし、原作も出版または禁止にならなかったと思う。さて、「いぬ」の意味は「行く」なのか?「行く」だとすると、「親のうち」即ち「在所」を越えて何処へ行きたいのか、歌われていない。どういう事なのか?
解説ありがとうございます。私も以前から歌詞の内容が子守歌ではない、赤い鳥のエンディングで「向こうにみえるは親の家」というのが感情をこめて2回繰り返されるので、なぜ親の家にそれほど感無量になるのかが不思議、という点が引っかかっていました。赤い鳥もライブでは「久世の大根...」を歌ってましたが、私はあろうことか吉兆を船場吉兆と勘違いし、船場吉兆の菜飯はうまいのだろうな!などというバカな解釈をしてましたが、貧乏部落にも差があったという意味なんですね。恥ずかしい!!在所の解釈はなかなか議論を呼びそうですが、在所=奉公先くらいに考えておくと、親の家の暖かさが感じ取れていいのではないか、と思ってます。
放送禁止唄になるとはチャンチャラ可笑しい、「在所」とは通常、被差別部落とは限らない、私の地方では全ての集落を言う、池波正太郎先生も問題なくこの言葉を普通の集落として使っている、私の地方にも「宇目の子守唄」と言うのが有り状況的に非常に似ている、当時は貧しい家庭の小さな女の子には子守奉公そうゆう時代であった、それをむりくり言葉にアヤをつけ差別用語だなんだと、いちゃもんをつけこの曲の発売当時は同和問題真っ盛りの時代背景とあいまって、沸いた連中の正義面が伺える、残念なことです。
部落差別、根深いですね。イギリス人の宣教師の本の中に、日本はどす黒い差別国家だと書いていました。本当にそうですね。私の周りにも沢山の差別を見てきました。守子歌・あの有名な赤とんぼもそうですね。
貴方、の言う事、考えは、とても素敵!良いお話を、ありがとう!
こちらこそ動画を見てくださりありがとうございます!
私は竹田の隣の区の出身です。
竹田の子守歌が出身の隣の歌だとは最近知りました。
何だか親近感が有って大好きです。
私の育った区も差別地区が有りましたが子供だった私は何も知らなくて差別地区の友達と遊んでました。
その差別地区も今はなくなって新興住宅街になりました。
有り難うございます。
赤い鳥の歌を聞いた世代です、 私も口ずさんでましたー、なのに、放送禁止になったのでテレビでは聞けなくなりました、裏と表があるように、時代の背景を受け継がせるためにも、放送禁止は深く考えてから決めて欲しい、部落解放同盟が盛んなのはわかりますが、この歌の時代による変換の説明をしてる方が、よほど人権教育になると思うし、竹田の子守唄は、聞いてると心から沁みます 武田地区の人の話だけではないくらいに、関西で広まってた原曲は世界遺産です!
隠しても教育にならないと改めて感じました、感謝してます
奉公とか聞くとドラマの「おしん」を思いだします。こんな時代が本当にあったんだ。苦労しただろうな😢
今の時代からは全く想像できないですよね💦
このように歌としてそれが語り継がれてくのは大切なことだと思いました😌
こんな美しく悲しい歌が放送禁止になり(そもそも放送禁止になったなんて知らなかった)部落の悲しさが込められた背景を教えていただいてありが
大聖さん、こんばんは😊
赤い鳥といえば「翼を下さい」があまりにも有名ですが、レコードでは「竹田の子守唄」がA面なのですね!
改めて曲を聴いてみて、美しく切ない旋律と、山本潤子さんの透き通る歌声に感動しました。
唄が広まるにつれ、自主規制に追い込まれる過程は怖いものがありますね。
今の時代も、どんどん自主規制が進んでいますから、表現の場が奪われないように願いたいものです。
ところでこの動画、教育現場で使われても良いくらいのクオリティーだと思います。
もちろん大聖さんの承諾の上ですが、子ども達に見てもらい、考えるきっかけにしてほしいと思いました。
ではまた、配信でお会いしましょう😊
ありがとうございます😊
翼を下さいは有名ですね☺️ 僕も学校で歌ってました🏫
自主規制によって逆に誰かを傷つけてしまうこともありますもんね😢
嬉しい😆お言葉です!とても恐縮ですが💦
使っていただけるなら是非という感じです🙇♂️💦
でも、差別などの社会問題を歌を通じて考えるきっかけになると嬉しいですよね!
反戦歌の時も同じようなことを言いましたが、知らない人が知るきっかけを作る入り口として、歌というのは絶大な力を発揮しますもんね!
本当に嬉しいです!
ありがとうございます😊
また配信でお会いしましょう!
私は九州に住んでいますが、在所という言葉は、今はあまり使われていないようですが親や私の若い頃までは生まれ在所とか普通に使われていました。
なるほど…勉強になりました。心にしみ入る名曲ですねえ…。歌とは人々の暮らしと共にあるのですね。ありがとうございました🤔💐
こちらこそ、動画をご視聴いただきありがとうございます!
そうですね〜、人々の暮らしと共にあるんですね!そして、それが時代になっていくんですね🥹
初めまして。
偶然に音楽イベントでこの歌を歌わないか?と提案されて調べていたところにチャンネルを見つけました。
とても深い考察と貴重なご意見が心に染み入りました。
歌う際に、少し解説を拝借した上で、言霊も表現できそうな気が致します。
ありがとうございます。
初めまして
こちらこそ動画を見つけてくださり本当にありがとうございます。
音楽イベントで歌われるのですね!背景を考えると表現も色々と変わってきそうですね👍
同じ歌い手として、とても嬉しいコメントです!
音楽イベント頑張ってくださいね!応援しております☺️
守りも年頃~🎵
花も七分(しちぶ)~🎵
坊のててごの~🎵
お手が付いた~🎵
はよも~いにたや~🎵
あの在所を越えて~🎵
向こうに見えるは親の家(うち)~🎵
同じ日本人なのに、なぜ差別をするんですかね、アイヌの人もかわいそうです。 もっと早い時期に差別を禁止する意見は無かったんでしょうかね、もう令和ですよ いつまで引きずるんでしょ。
悲しい情景ですね。でも、日本にはどこにでもあった悲しい情景だと思います。この歌は竹田地区だけのことではなく、もっと一般的な情景だと思います。
美しい曲だが、変な所がある。盆に「雪がちらつく」はないだろう。余りにも極端な異常気象である。
それよりも「帷子もなし、帯もなし」の方が自然だ。奉公先では、盆が終わった16日に「やぶいり」として、奉公人を親元へ返すのが普通だ。その時には何らかの土産、例えば、帷子なり帯なりを持たせる。ところが差別されて、何も持たせてくれない。それで、親の家が見えても、それを越えて何処かへ行ってしまおうか、それとも、、、と考えていると解釈できる。
これの七番は本当にずっしり来る。
当時ただただ鴨川下流の京都盆地の砂地が広がるだけの竹田で傘もなかったら
子守ってキツいなんてもんじゃない。
ヘタすると体温が冷えて背負ってる子供がヤバくなる・・・。
コメントありがとうございます。
色々と僕も想像すると辛くなってしまいます。
「在所」という言葉は、単にそこに存在している第三者的な地域(場所)という意味なのだろうと思います。
奉公先と故郷の竹田地区との間に、たまたま「在所」という地区があったと考えるほうが しっくりくるのですが。
ちなみに、私の故郷 である秋田県南部では「在郷」という言葉(じゃんごと言っていた)を、 単なる地域という意味の他、「田舎(くさい所)」という意味でも使っていました。
美しい曲だ。放送禁止になっていたとは知らなかった。放送局も訳が解らない事をしたものだ。「橋のない川」は映画を見た事がある。上映中止にならなかったし、原作も出版または禁止にならなかったと思う。
さて、「いぬ」の意味は「行く」なのか?「行く」だとすると、「親のうち」即ち「在所」を越えて何処へ行きたいのか、歌われていない。どういう事なのか?
解説ありがとうございます。
私も以前から歌詞の内容が子守歌ではない、赤い鳥のエンディングで「向こうにみえるは親の家」というのが感情をこめて2回繰り返されるので、なぜ親の家にそれほど感無量になるのかが不思議、という点が引っかかっていました。
赤い鳥もライブでは「久世の大根...」を歌ってましたが、私はあろうことか吉兆を船場吉兆と勘違いし、船場吉兆の菜飯はうまいのだろうな!などというバカな解釈をしてましたが、貧乏部落にも差があったという意味なんですね。恥ずかしい!!
在所の解釈はなかなか議論を呼びそうですが、在所=奉公先くらいに考えておくと、親の家の暖かさが感じ取れていいのではないか、と思ってます。
放送禁止唄になるとはチャンチャラ可笑しい、「在所」とは通常、被差別部落とは限らない、私の地方では全ての集落を言う、池波正太郎先生も問題なくこの言葉を普通の集落として使っている、私の地方にも「宇目の子守唄」と言うのが有り状況的に非常に似ている、当時は貧しい家庭の小さな女の子には子守奉公そうゆう時代であった、それをむりくり言葉にアヤをつけ差別用語だなんだと、いちゃもんをつけこの曲の発売当時は同和問題真っ盛りの時代背景とあいまって、沸いた連中の正義面が伺える、残念なことです。
部落差別、根深いですね。イギリス人の宣教師の本の中に、日本はどす黒い差別国家だと書いていました。本当にそうですね。私の周りにも沢山の差別を見てきました。守子歌・あの有名な赤とんぼも
そうですね。